あやし皮膚科クリニック病院だより

【号外】東日本大震災で心をかけて下さったあなた様へ

こんにちは。理事長の工藤です。

東日本大震災から10年が経ちました。まだまだ復興途上の地域も多数あります。10年前、私が震災から数か月後に書いたブログの記事が目にとまったので、当時の思い出も含めて、再度、掲載させていただきます。今後ともよろしくお願い致します。

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◆東日本大震災で心をかけて下さったあなた様へ◆ 2011年 8月 04日

◆はじめに

あやし皮膚科クリニック院長の工藤です。 
このたびの東日本大震災において、被害にあわれた皆さまに心よりお見舞い申し上げます。 
震災直後から本ページの読者の方々からも沢山のご心配のメールをいただきました。直接来院してくださった方や、私のメルマガを購読してくださっている方にはすでに近況はご報告させていただきました。しかし、このページの読者の方々へのご報告をしておりませんでした。ですので、遅くなりましたが、ご報告を兼ねて、あやし皮膚科クリニックでの震災の状況をご報告させていただきます。
 
◆震災直後から診療再開

当院では地震発生以後もすぐに診療を再開しました。結果的に、ほぼ休みなく、全日に渡って診療を続けることができましたが、それには多少の困難も伴いました。まず、製薬会社からのお薬の供給がストップしました。その後の入荷の目途も立ちませんでした。

当院は、石巻など沿岸部出身の職員もおり、スタッフ自身も被災しました。そのため、職員が不足しました。私ともう一人の職員の、たった2人しかいない日もありました(普段は6人で診療しています)。また、停電で電子カルテが作動しない日もありました。(カルテがないと患者さんの過去の症状、処方したお薬などが全くわかりません)。電話が不通のため、他の医療機関や薬局との連絡もとれません。やりとりは自転車で直接行ったりきたりして処方箋などの受け渡しせざるをえませんでした。

震災後数日で、通勤のガソリンも尽きてしまいました。正直、このときは診療を続けることをあきらめそうになりました。しかし、色々と悪条件が重なりましたが、わたし自身は「地域のみなさんが大変な今だからこそ病院を開けなければならない」「最後は自分一人になっても診療を続けよう」と強く心に思って診療を続けました。 
 
◆当院のスタッフとお隣の薬局さんに感謝 

当院の職員も頑張ってくれました。震災後、ガソリンが無い中、柴田郡からすぐにかけつけて出勤してくれた者、しばらく両親の安否が不明だった者、電車が止まって通勤手段がなくなってしまった者・・・。皆それぞれ大変な状況もありましたが、心をひとつにして、クリニックに集まってくれました。
また、お隣の「あやし調剤薬局」の皆さまも 全力で協力して下さいました。ガソリンが足りない状況で名取から2時間かけて通勤してくださった方。他の薬局さんスタッフが来られない中、たった一人で出勤して手伝ってくださった方。震災で家に帰れず、見ず知らずの御近所のお宅に住まわせてもらいながらも通勤して下さった方。お子さんを3人抱えた状態で、避難所から通勤してくださった方。皆さまのお陰で、ほぼ全日にわたって診療を続けることができました。「あやし調剤薬局」の皆様に心から感謝しております。この場を借りて御礼申し上げます。
 
◆あなたの本当のパートナーとは?

私は、「自分が大変なときにどれだけ他人に与えられるか」が、その人の本質的な価値をはかる尺度のひとつであると考えています。お互いが良い状態のときはだれでも相手に親切にできるものです。しかし、自分が大変なときにこそ、周囲で困っている人に対してどれだけ親切にできるか、助けてあげられるか、が大事だと思っています。友人でも、彼氏彼女でも、結婚相手でも、家族でも本当に困ったときに助けてくれる方が、真のパートナーとしての条件のひとつだと思います。ここ、あやし皮膚科クリニックにも、津波で家が流されご家族を亡くされ、愛子地区へ避難されてきた方や、原発事故で福島から避難されてきた方も沢山いらっしゃいます。

震災直後は、内科、泌尿器科、精神科など、皮膚科に限らず、他の診療科の患者さまが処方箋を求めて当院へ沢山いらっしゃいました。震災直後は、そもそも開いている病院が少なかったことと、たとえ病院はやっていても、ガソリンの不足や電車やバスもが止まっていたため、かかりつけの病院へ通院できない状態だったからです。当院では、そのような患者さまに対して、たとえその方の病気が皮膚科の病気でなくとも、診療科に関わらず、全て受け入れました。高血圧、糖尿病からうつ病など精神科のお薬まで処方しました。

また、「水道が止まって自宅の水がまだ出ない」という患者さまの声をきき、当院の水道を無料で開放し、自由に給水していただけるようにしました。


今後も、あやし皮膚科クリニックが、地域の皆さんにとっての真のパートナーとなれるよう努力してまいります。

  
◆すばらしい患者さまに囲まれる幸せ

嬉しい出来事も沢山ありました。当院の待合室でお待ちいただいている間に数人の患者さんが、安否不明だった家族や友人と次々と連絡がついたのです。そのとき、患者さまから、「この病院に来たから良い事が起こったんだ」と言っていただいたのは、偶然のこととは言え、本当に嬉しく思いました。

また、本当に多くの患者さまから、「先生、病院を開けてくださってありがとうございます」というお言葉をいただきました。患者さまご自身もライフラインが止まった状態です。さらに、ご自分の病気や悩みを抱えて病院へいらっしゃっているわけです。本当はご自分やご家族のことで精一杯のはずです。そんな状況の中で、もし私だったら「病院はやってて当然」とか「なんで通常通りの診療時間じゃないんだ」と思ってしまうと思います。ところが、逆に多くの患者さま方から沢山の感謝のお言葉をいただきました。「自分も大変な状況下で、他人へ感謝の気持ちを持てる」という患者さまの心が本当に素晴らしいと思います。「さらに、その思いをきちんと言葉に出して相手へ伝えることができる」というのは、さらにさらに素晴らしいことだと思います。私はその言葉を頂くたびに涙が出そうになりました。
 
小さいお子さんとそのご家族が「先生、地震のときはありがとうございました」とチョコレートを持って来てくださったこともありました。当時はまだまだ物資が不足しており、スーパーでも「1人10品まで」と購入できる商品に制限が設けられている状況でした。そんな中で、自分の食べものですら十分でないときに、わざわざ病院にチョコレートを持ってきて下さる・・・。そのお子さんと御両親の「ひとに与える心」に本当に感動しました。

そういった、素晴らしい患者さま方ばかりに囲まれて、診療をさせていただけることを本当に感謝しております。
 
◆命を救った栄養剤

先日、ある患者さまのご家族が病院へいらっしゃいました。その方のご家族は寝たきりで食事がお口から取れないため、鼻から管を入れて、そこから特別な栄養食を直接胃に入れて生活をしていました。ところがこの震災で、その栄養剤の供給がストップしてしまったのです。4日間、お水しか摂取できていないという生命の危機にかかわる状況でした。かと言って、救急車へも電話が繋がらず、大きい病院へ連れていくガソリンもありません、そんな中、藁にもすがる思いで当院へ受診にこられました。当院は皮膚科なので、通常は栄養剤は準備していません。とはいえ、このままでは衰弱して亡くなってしまいます。そこで、お隣のあやし調剤薬局のスタッフさんに協力していただき、栄養剤を探しました。すると、震災でめちゃくちゃになった薬局さんの在庫の中から、なんとか代わりとなる栄養剤がみつかったのです!そこで、それを処方してお渡しすることができました。
その後の御報告に、ご家族がわざわざ当院へに来てくださったのです。その後、その患者さまは、無事に他県の施設へうつられ、今は元気に生活しておられるとのことでした。ご家族は涙を流して、御礼の言葉を下さいました。私も泣きました。
  
◆復興へ -まずはできることから-

震災後、ずっと思い続けたことは「自分よりずっと大変な方々がたくさんいる。自分は恵まれている。恵まれている自分には、何かできることがあるはず。まずは小さくてもできることからはじめよう」ということでした。今後も、あやし皮膚科クリニックでは、あなたのお力になれるよう、スタッフ一丸となってこれからも精一杯努力して参ります。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
 
 
最後までお読みいただいた
あなた様へ
心から感謝申し上げます。

2011年8月4日 あやし皮膚科クリニック 工藤 洋平

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